御徒町、貴金属店が多い理由

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ブログをスタートしました。

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こんにちは、檜山製作所です。

このたび檜山製作所のホームページでブログをスタートしました。

定期的に台東区・御徒町情報、宝飾業界、グルメなどいろいろな情報を発信していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

檜山 浩一郎

 

〜御徒町の歴史を知ろう!〜Vol.1

「御徒町、貴金属店が多い理由。」
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JR山手線、御徒町駅をおりると、そこはまさに下町。
建ち並ぶ店とそこを通る人の多さに圧倒されます。
活気あふれる大通りを抜けて路地に入れば、雰囲気は一転。
レトロな喫茶店や古い民家は、私たちにタイムスリップしたような感覚を与えてくれます。

「下町ノスタルジー」という言葉がぴったりな路地裏に、どこからともなくやってきた三毛猫。
ふくよかな体をゆっくり持ち上げながら、大きなあくびをして立ち去りました。
まるで「あーあ、じゃまが入ったな。」とでも言うように。
現代人がどこかに置き忘れてきた、「何か」がここにはあるのかもしれない。
そう思わずにはいられない、穏やかな時間が流れる場所です。

 

■御徒町に多い貴金属店?

にぎやかな大通りを歩いていると、貴金属店が多いことに気付きます。

「なぜ?」と思う人は少なくないはずです。

御徒町、貴金属店の歴史は江戸時代にまでさかのぼります。
御徒町付近に江戸時代、存在していたのが浅草寺をはじめとする寺社でした。
仏具や銀器の職人が御徒町に終結した理由はまさに”それ”です。
仏具とは、僧侶や聖職者が使用する宝飾品のこと。
美しい装飾が施されているものも珍しくありません。
そうした芸術品ともいえる仏具をつくるためには、腕の良い職人の存在が欠かせないのは言うまでもありません。

2つ目の理由は、御徒町周辺の色街の存在です。
浅草、吉原の色街では、帯留めやかんざし等、小物の需要が少なからずありました。
それに対応していたのが御徒町の職人だったのです。

歴史小説の大家、池波正太郎の本を読んだことがある人は多いと思います。彼は、台東区の出身です。
小説で描かれる、江戸庶民の風俗や細かな心理描写は、今もなお読者を魅了しています。
下町情緒あふれる台東区で育った彼だからこそ描ける世界なのかもしれません。

明治の中頃から、指輪の制作・加工をする業者が増加しました。
明治の後期、御徒町駅周辺は、寄席や見世物小屋が並ぶ東京の一大歓楽街になっていたようです。
こうした庶民文化は歌舞伎や能といった伝統芸能へと昇華していきました。
御徒町周辺に見る下町の文化は、現在の伝統芸能の基礎になっていると言って良いでしょう。

今のアメ横のもととなるのが第2次世界大戦後に開かれていた「青空マーケット」。
上野で米軍兵士が、アクセサリーを売り始めたことがきっかけです。
その際、御徒町が果たした役割は時計やアクセサリーの修理業務でした。
1964年には、時計・宝飾業者の「市」が開催されるようになり、現在は関連業者による「組合」も結成されています。

 

■檜山製作所

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檜山製作所は、歴史と伝統が息づく街、御徒町で金属プレスを行っています。
プレス加工とは、工具の間に素材を挟み、強い力を加えることによって素材を成型することを言います。
加工するために使うプレス機械。

現在、金属加工品については、このプレス加工によって成形されたものが多く出回っています。
アクセサリーをはじめ、カバンや財布の金具等。
あなたが使用している小物の内にも、プレス加工によって生まれたものが、おそらく潜んでいるはずです。
プレス加工は古くは鋳造によります。

金属をハンマーでたたいて形状を成型する鋳造。
一度のたたきで成形することはできないので、何度も繰り返すことが必要でした。
プレス機械の登場によって、一度に大きな圧力を加えることができるようになります。
それでも、金属加工の種類によっては加工手順を分けて変形させる手法がとられることも。

 

■貴金属の業界分類

知ってみると、その奥深さにますます興味を惹かれる金属業界。
大きく分けて4種類に分類することができます。

「宝飾」「銀器」「徽章」「物産」。

それぞれ、仕事内容が異なり、果たす役割も違います。
次回は、それぞれの仕事内容について紹介していきたいと思います。


One thought on “御徒町、貴金属店が多い理由

  1. 東京の宝飾・ジュエリーといったら御徒町・蔵前はかかせません。もっと台東区の町の歴史が知りたいです ^ ^

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